『芦田の毎日』

By Hironao Ashida

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Category: Philosophy

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2000年から書き続けているプログ記事(一部は2009年から始めたFacebookの記事)、あるいは、拙著『書物の時間』(1989年)、『『努力する人間になってはいけない』(2013年)、『シラバス論』(2019年)の一部をGoogleの「音声概要」による解説会話で再編したもの。 会話音声上、一部、漢字などが正しく読めていない場合がありますが、お許しください。 元記事の再現力は90%くらい。漢字の読み間違いは困りますが、〝理解力〟は〈人間〉よりもまともかもしれません。漢字の読み間違い、内容的な展開などにおいて、うん?と思われた場合などは元記事を参照して下さい。お手数をおかけしますが、よろしくお願いします。 ※BLOG『芦田の毎日』のアドレスは、https://ashidahironao.sakura.ne.jp/blog/ です。

Episode Date
『トモダチ100人よべるかな?』シーズン2の配信が始まった ― なんといってもフワちゃんとしんいちに尽きる。
Aug 29, 2026
エディプス・コンプレックスにおける人間性と動物性との断絶について
Aug 22, 2026
お盆休みにおすすめの映画・ドラマ35選 ― なんといっても『メシア』は圧倒的。
Aug 13, 2026
ラカン若手研究者の工藤顯太君との出会い ― 故・高橋允昭研究室の孫弟子との楽しいひととき。
Aug 13, 2026
高橋真梨子の『桃色吐息』論について ― 歌手は気持ちを込めて歌ってはいけない。
Aug 12, 2026
誰でもわかる「〝新たな評価〟制度の在り方について」(鈴木宏幸:高等教育局高等教育企画課 大学設置・評価室長)資料全40頁 詳細解読
Jul 11, 2026
【増補版(増補第2版)】〝新たな評価〟制度の在り方について(鈴木宏幸:高等教育局高等教育企画課 大学設置・評価室長)
Jul 10, 2026
【増補版】〝新たな評価〟制度の在り方について(鈴木宏幸:高等教育局高等教育企画課 大学設置・評価室長) 令和8年度評価充実評価会(日本高等教育機構)於・アルカディア市ヶ谷
Jul 09, 2026
〝新たな評価〟制度の在り方について(鈴木宏幸:高等教育局高等教育企画課 大学設置・評価室長) 令和8年度評価充実評価会(日本高等教育機構)於・アルカディア市ヶ谷
Jul 07, 2026
大学における〈単位制〉とは何か ― カリキュラム制と単位制とは敵対する。
Jun 25, 2026
退学者という教育組織の破綻現象について
Jun 13, 2026
私の生成AI_2.0活用について ― 組織活動には概念の再定義が必要
Jun 12, 2026
12年ぶりに洗濯機を買い替えることに ― やはり洗濯機はパナソニック一択かと。
May 31, 2026
〈美人〉と「空虚な中心」について
May 28, 2026
苅谷剛彦と階層格差論 ― 1990年以降の〈学びの主体〉論はいかに間違ったのか。
May 25, 2026
「学修成果の可視化」は、シラバス改革なしには始まらない。
May 22, 2026
独身者は、老後ほんとに孤独なのか 。
May 18, 2026
〝やる気〟を出す教育の何がダメなのか ― 内発的動機論、自主性、主体性、個性教育の害悪について
May 17, 2026
自主性重視、個性重視の内発論が知識軽視を生みだしたこと、あるいは1990年代以降の学校改革論の個人主義的傾向について
May 16, 2026
人工知能論批判 ― 松尾豊との仮想議論、あるいは「恐るべきコペルニクス的転回」
May 16, 2026
〈学校教育〉は、ほんとうに「生涯学習の一部」なのか? 「学習者本位」の教育は、ほんとうに正しいのか ― 諸悪の根源「中曽根臨教審第四次答申」(1987年)
May 14, 2026
人工知能批判はどこまで可能か? ― 脱チョムスキー主義と生成AIの経験主義的なベクトル主義
May 14, 2026
教育心理学の「俗流」性、あるいは知識の軽薄化と動機主義の問題について
May 10, 2026
自作の変更について ― 50年以上も前の柄谷行人の論考をふと思い出した。
May 09, 2026
「俗流」教育心理学と「主体的・対話的で深い学び」の虚構を問う。
May 08, 2026
バカな人ほど聞きもしないのに語りたがる ― 海部陽介×荻上チキのやりとりに見る、知ることとわかりやすく語ることとの関係。
May 08, 2026
【第四版】究極の位相管理:人生最後のカーオーディオ完結編
May 05, 2026
AI問題と「形式化の諸問題」についてなど ― 主体の成熟について
May 03, 2026
「頭の悪い人」というのは、本当に存在するのか。
May 03, 2026
脳科学の貧困と存在論的差異と。
May 02, 2026
【第3版】人生最後のカーオーディオの取り付けに挑戦してみた(BEWITH社製のDSP:STATE A6R KISHI_model Dualを中核に据えて) ― 2023~2026の試行錯誤の結論を生成AIに聞いてみた(実際の音と解説Podcast付き)
Apr 28, 2026
「学修成果の可視化」の間違った方向について ― 中央教育審議会大学分科会大学振興部会(2022年、第6回) ― 共愛学園前橋国際大学学長・大森昭生の報告について(解説Podcast付き)
Apr 26, 2026
教育心理学者の「俗流」性について、あるいは市川伸一の「対話的で深い学び」論、奈須正裕の「やる気」論について
Apr 24, 2026
【第2版】 人生最後のカーオーディオの取り付けに挑戦してみた(BEWITH社製のDSP:STATE A6R KISHI_model2台を中核に据えて) ― 2023~2026の試行錯誤の結論を生成AIに聞いてみた
Apr 23, 2026
人生最後のカーオーディオの取り付けに挑戦(BEWITH社製のDSP:STATE A6R KISHI_model2台を中核に据えて) ― 2023~2026の試行錯誤の結論を生成AIに聞いてみた。
Apr 22, 2026
今日の大学教育の衰退について ― あるいは、「学修成果の可視化」について
Apr 15, 2026
漱石の「先生」と森昌子の「せんせい」における言葉の意味の多様性について
Apr 11, 2026
『吉本隆明全集月報集』(晶文社版) ― 芦田宏直:「転向」について(全集第三巻月報)
Apr 11, 2026
2026年度総合心理学部新入生講話 ― 〈多様性〉は〈知性〉の上でこそ花咲く
Apr 11, 2026
「教育の大学」か、「研究の大学」か ― 教育の大学が教育的だったことなど一度もない。
Apr 06, 2026
2026年度新入生講話 ― 〈知性〉の可能性とマークシート試験
Apr 05, 2026
『吉本隆明全集月報集』(2026/3/23)が出版されることになったらしい ― 私が吉本さんの月報を書くことになったきっかけ。
Apr 01, 2026
Twitter微分論:機能主義とメディアの現在-情報社会とデータベースと人間の死と(講演)
Mar 20, 2026
芦田宏直著『シラバス論 ― 大学の時代と時間、あるいは〈知識〉の死と再生について』(晶文社刊)を解体する。
Mar 20, 2026
3月18日は、65年前(当時は中学校3年生)の告白記念日。
Mar 18, 2026
とある中学・高校校長の断章についての感想 (3)― 「たった一日」で人生が決まる紙試験はほんとに若い人たちの不公平を招くのか。
Mar 18, 2026
「概念把握」型教育の重要性について、今さら何が言いたいのか。
Mar 13, 2026
肺がん手術後5年目の「おめでとうございます」 ― 区域切除手術の快挙。
Mar 11, 2026
とある中学・高校校長の断章についての感想 ― 〈学校教育〉における生徒・学生の「多様性」「主体性」「個性」などをどう考えるのか。
Mar 11, 2026
生成AI先生に、生成AIの可能性と人間の可能性との関係を聞いてみた。
Mar 07, 2026
『灰とダイヤモンド』(監督アンジェイ・ワイダ、1958年)と松本先生との〈コミュニケーション〉について。
Mar 07, 2026
大学教育における〈批評〉の不在について ― 吉本隆明の〈文学体〉と〈話体〉
Mar 01, 2026
iPod touch(7th)とiTunes文化が終わって、USBメモリ直差しのカーオーディオ再生とは。
Feb 28, 2026
最近の内田樹さんについて
Feb 28, 2026
人間環境大学は〈知〉を越境する
Feb 26, 2026
左翼リベラリズムと日本国憲法と高市政権と。
Feb 21, 2026
パソコン一つで世界を動かす ― 大学の情報教育は、国・公・私立大学問わず、未だに「電気通信」時代のカリキュラムにとどまっており、今日の「情報」教育に対応できていない。
Feb 16, 2026
Twitter(現X)微分論・最終章(5) ― ハイデガーのエネルゲイア論と大学
Feb 13, 2026
Twitter(現X)微分論(4) ― 「オンライン自己」と〈死〉を忘れること、あるいはヘーゲルの「存在しない今」について
Feb 13, 2026
Twitter(現X)微分論(3) ― 近代と学歴主義の問題、あるいは〈短い時間〉における自由と平等について
Feb 13, 2026
Twitter(現X)微分論(2) ― 因果と環境とデータベースと
Feb 13, 2026
Twitter(現X)微分論(1) ― 機能主義、サイバネティクス、フレーム問題、データベース
Feb 13, 2026
認知行動療法の考え方について ― 『代替行動の臨床実践ガイド』(北大路書房、2022)を読む。
Feb 12, 2026
Netflix『メシア』(監督ジェームズ・マクティーグ他、2020年)を見た ― なぜ宗教にはペテロやパウロやユダみたいな周辺の人物が必要になるのか。
Feb 08, 2026
二段階革命論について ― 「革命は、まだ、ちっとも、何も、行われていないんです」(太宰治『斜陽』)
Feb 08, 2026
憲法第九条第二項の改正について ― 日本のリベラル派の平和主義について
Feb 03, 2026
中道改革連合と国民政党とポピュリズムと ― 小林秀雄と太宰治と吉本隆明を思い出した。
Jan 31, 2026
消費税減税の是非と観光立国の展望
Jan 30, 2026
BLOG『芦田の毎日』を始めた理由について:公私の境界と話体表出の四半世紀
Jan 29, 2026
令和四年度からの高校の普通科4分化体制について ― またしても教育格差が拡大する普通科の〝多様化〟
Jan 29, 2026
高市解散の大義について
Jan 24, 2026
NHK朝ドラ「スカーレット」(2019年)を見ながら ― 昭和の記憶と父への悔恨:戦後思想の再考
Jan 24, 2026
生成AI批判の前提について ― 誰でも間違うようにして生成AIも間違う
Jan 12, 2026
2026年、あけましておめでとうございます ― 不在の死と死の不在と。
Jan 02, 2026
『じゃあ、あんたが作ってみろよ』に見る男女のすれ違いについて
Dec 21, 2025
ウィニコットの「ほどよい母親」と「存在の一体性」について
Dec 20, 2025
帰郷といとこの死と死の原風景と ― 反lumen naturaleとしてのRufの哲学について
Dec 05, 2025
選択的夫婦別姓問題について ― 近代主義的個人はどこへ行くのか
Oct 31, 2025
選択的夫婦別姓問題について ― 個人主義のなれの果て
Oct 31, 2025
ウィーナーのサイバネティクス思想: ― 制御と自由について
Oct 25, 2025
生成AIと現代思想の衰退 ― 記号接地問題は、素朴実在論に過ぎない。
Oct 24, 2025
SONY文化の意味と地方の電気屋さん
Oct 18, 2025
吉田志朗さんとの出会いと別れ ― 家族から自立する機縁を作ってくれる人こそ、指導者と言えるのではないか。
Oct 18, 2025
文科省「授業の柔軟化」施策について ― 個別最適な教育(個性教育、自主性尊重教育)、地域最適な教育の問題点について
Sep 20, 2025
「個別最適化」学習は、教育格差を拡大する ― 〈学校教育〉における〈学び〉の多様性について
Aug 31, 2025
「試験の点数」軽視と教育格差について — 〝主体性〟〝人間性〟教育が教育格差を拡大することについて
Aug 24, 2025
ドラマ『海のはじまり』(2024)をみた — 誰ひとり寂しくはなく、誰もが寂しい愛の物語。
Aug 15, 2025
大学教育改革を阻害するもの — 成績評価(単位認定)の形骸化について
Aug 14, 2025
何をどう選ぶのか — Netflix、Amazon Prime Videoからの発見について
Jul 21, 2025
参政党の貧乏症について
Jul 18, 2025
専門学校の実習授業は何が間違っているのか。
Jul 15, 2025
『海街diary』における自然と女とについて
Jul 14, 2025
「机の上での知識だけでは意味がない」とは 何か。
Jul 13, 2025
大学における単位認定試験のあり方について(20250909広島修道大学FD研修会案内)
Jul 13, 2025
2025年参議院選挙雑感 ― 消費税減税か、所得税減税か
Jul 12, 2025
大学の期末試験(単位認定)を第三者化する意義について
Jul 11, 2025
生成AI活用による期末試験作成(期末試験作成の第三者化)についての混乱。
Jul 11, 2025
多発性硬化症(MS)と視神経脊髄炎(NMO)の国内外の2000年代中盤の研究史 — メイヨーから東北大学へ(いかにベータフェロンは薬害となったのか)
Jul 10, 2025
京都の元祖『珉珉』とその社長秘書・中井淳二さんの絵について
Jul 08, 2025
加藤諦三先生と谷口龍男先生と
Jul 06, 2025
哲学の再固有化 re-appropriation — 概念の分割について
Jul 04, 2025
言語と思考 — フッサール現象学における〈意味〉について
Jul 04, 2025
柄谷行人と永坂田津子と
Jul 02, 2025
『ポツンと一軒家』(2025.6.22)の定年後の銀行員について
Jun 29, 2025
『東京ラブストーリー』(1991)を考える
Jun 29, 2025
続・フレーム問題について― ハイデガーの死の哲学と人工知能の課題について
Jun 24, 2025
フレーム問題について― 人工知能の限界とフレーム問題
Jun 24, 2025
デリダのフォネーロゴス中心主義について
Jun 24, 2025
カントの〈始元〉論 ― 「生起しない」原因性
Jun 24, 2025
学校教育における〈期末試験〉の意味について
Jun 24, 2025
全身麻酔手術の術前・術後の落差について
Jun 24, 2025
自動車ディーラーの接遇について
Jun 24, 2025
リコーテクノシステムズ管理職研修記録(2005年)
Jun 22, 2025
ウーシア、主観、確実性からサイバネティクスへ
Jun 21, 2025
福島原発事故全ツイート
Jun 21, 2025
『存在と時間』フルテキスト検索の見果てぬ夢(2009年の記事)
Jun 21, 2025
ドリカムと私 — 深夜に家内をたたき起こした「あなたに会いたくて」
Jun 21, 2025
2007年紅白歌合戦全曲批評 — 2ちゃんねるにスレが立った
Jun 21, 2025
福沢諭吉『学問のすすめ』感想文コンクールの審査員をして思ったこと
Jun 21, 2025
芦田宏直vs渡邊芳之(帯広畜産大学教授)論争 — 心理学か、機能主義か
Jun 21, 2025
続編・賢い専門学校の選び方 — 初級、中級、上級
Jun 21, 2025
賢い専門学校の選び方 — 就職率、資格合格率、出席率の数字を疑うこと。
Jun 21, 2025
リクルートのIT業界研究会に参加して — 企業人材と高等教育の課題
Jun 21, 2025
一見客を嫌がる散髪屋に入ってしまった。
Jun 21, 2025
避暑地蓼科でのジョギング中止 — 慣れないことはやめたほうがいい
Jun 21, 2025
SACD=DSDファイル再生の魅力について
Jun 21, 2025
ジャック・デリダ京都滞在記(1983年)
Jun 21, 2025
郷ひろみ「How many いい顔」(1980)
Jun 21, 2025
私の本は息子には絶対貸さない
Jun 20, 2025
中西大輔教授(広島修道大学・心理学)による『努力する人間になってはいけない』書評 — 痛烈な機能主義批判の書
Jun 20, 2025
〈音場〉か、〈音質〉か — 高島誠先生と五味康介と
Jun 20, 2025
家庭用プロジェクターの進化について
Jun 20, 2025
叙述と真理 — 『書物の時間』(1990)より
Jun 20, 2025
「人生最後の車」の〝クルマ選び〟
Jun 20, 2025
北京オリンピックの記憶
Jun 20, 2025
マンション管理組合理事会と管理会社と
Jun 20, 2025
高橋尚子と小出監督と
Jun 20, 2025
コンピュータとは何か — 時間と行動のサイバネティクス
Jun 20, 2025
東京ドーム観戦記 — 野球より観客を見ていた
Jun 19, 2025
デザインの意味論 — フッサールの超越論的意味論 からハイデガーの時間性へ
Jun 19, 2025
コミュニケーションとは何か
Jun 19, 2025
私がマンション管理組合理事会理事長を解任された理由。
Jun 18, 2025
「女性は男性より先に死んではいけない」 — 部下の披露宴主賓の挨拶として
Jun 18, 2025
高坂 正堯の岩間陽子への言葉 — 天声人語のバカ
Jun 18, 2025
立正大学「哲学」講義の教え子からのメール
Jun 18, 2025
〈私〉というものは存在しない
Jun 18, 2025
死、私、世界
Jun 18, 2025
デカルト的〈主観〉とその「確実性」について
Jun 18, 2025
経済産業省「産業界から見た大学の人材育成評価に関する調査研究」会議に参加して — またしてもコミュニケーション能力か
Jun 17, 2025
左翼と信号機のおじさん・おばさん
Jun 17, 2025
好酸球過多型副鼻腔炎の術後処置について
Jun 16, 2025
小学校の「学び合い」教育を参観して(2) — 担当教員からの反論に答える
Jun 16, 2025
小学校の「学び合い」教育を参観して(1) — 個性教育の不毛と罪悪
Jun 16, 2025
大学の機能分化と専門職大学の課題
Jun 16, 2025
大学教育と古典の差別性
Jun 16, 2025
東大から始まった〈講座制〉 は、カリキュラムの反対語
Jun 16, 2025
タレントさんたちの披露宴と私の謝辞(息子・太郎の披露宴において)
Jun 16, 2025
一番わかりやすいコマシラバス解説 — 『シラバス論』出版記念パーティにおける中原翔先生のご挨拶)
Jun 16, 2025
全国初の生成AI全学導入の教育について
Jun 16, 2025
大学と資格教育(リクルート『カレッジマネジメント』第96号)
Jun 15, 2025
接遇教育は、専門教育をダメにする
Jun 15, 2025
ドラマ『世界の中心で、愛をさけぶ』(全11話)を見て — 二つの不在の〝中心〟としての「世界の中心」
Jun 15, 2025
成人式を迎える君たちへ — 「自立してはいけない」
Jun 14, 2025
専門学校における「実践的な」職業教育とは — カリキュラム編成委員会に参加して。
Jun 14, 2025
大学入試改革「有識者会議」(座長・安西祐一郎)に物申す
Jun 14, 2025
「点数主義の方が個性主義より多様だ」(朝日新聞GLOBE、2016/03/06)
Jun 14, 2025
朝日新聞「究極に公平な入試とは — マークシート入試の本質は、家庭の影響の排除にある」 2020年2月17日 — 芦田が朝日新聞の依頼において書き下ろしたもの
Jun 14, 2025
土井隆義(筑波大学 )の個性論批判 — 『「個性」を煽られる子供たち』について
Jun 14, 2025
式辞「自立してはいけない」
Jun 14, 2025
『努力する人間になってはいけない』書評 — 痛烈な機能主義批判
Jun 14, 2025
『努力する人間になってはいけない』あとがき — 日本の若者の消費偏差値について
Jun 14, 2025
〈教育〉という言葉の語源について — 『シラバス論』より
Jun 13, 2025
『シラバス論』書評 — 大学における学問の意義
Jun 13, 2025
映画『あの日の指輪を待つきみへ』 — 約束とは。
Jun 13, 2025
名作『ブロークバック・マウンテン』に見る故郷と喪失
Jun 13, 2025
ウーシアの変遷、デカルトの主観、サイバネティクス
Jun 13, 2025
授業期間中の小テスト評価と期末試験評価との関係について
Jun 13, 2025
緊急入院しました — 病院選びは難しい
Jun 12, 2025
息子・太郎による22歳一人での帰省
Jun 12, 2025
小椋佳「さらば青春」について — 僕は呼びかけはしない
Jun 12, 2025
くだらない授業(5) — 英語表記か、カタカナ表記か
Jun 12, 2025
くだらない授業(4) — 作品批評の諸課題
Jun 12, 2025
くだらない授業(3) — 専門用語の歴史性について
Jun 12, 2025
くだらない授業(2) — CPUはハードウエアか
Jun 12, 2025
くだらない授業(1)— インテリア科編
Jun 12, 2025
追悼・ホイットニーヒューストン 、あるいは二作目の苦悶
Jun 12, 2025
「ある」と「べき」の哲学(法政大学「哲学」第1回講義)
Jun 12, 2025
教育格差、選抜格差、メリトクラシー
Jun 12, 2025
「教育の質保証」の取り組みとコマシラバス
Jun 12, 2025
息子の結構式披露宴における謝辞
Jun 12, 2025
「検索バカ」と反ファンクショナリズム(吉本隆明の〈自己表出〉論について)
Jun 12, 2025
私立中学受験に反対する
Jun 11, 2025
私立中学受験と家族のnobility
Jun 11, 2025
フンボルト理念における〈教育〉と〈研究〉
Jun 11, 2025
阿久悠「ざんげの値打ちもない」の世界
Jun 11, 2025
〈人生〉を語ってはいけない
Jun 10, 2025
学歴・超高層・ポストモダン
Jun 10, 2025
デリダのフッサール理解について — 表現と意味(1982年)
Jun 10, 2025
〈序文〉とは何か — 『書物の時間』(1982年)
Jun 10, 2025
学生は〈顧客〉ではない
Jun 10, 2025
病院は面白い
Jun 10, 2025
「不治の病」とは、死ぬという病気のこと
Jun 10, 2025
台風とキリスト教とニーチェと
Jun 10, 2025
季節はずれの桜と二匹の犬
Jun 10, 2025
生活苦とは、何か
Jun 10, 2025
新学力観と教育評価の諸問題
Jun 10, 2025
東日本大震災と「気仙沼ブルース」
Jun 10, 2025
講座制とカリキュラムと — なぜ、日本の大学にはカリキュラムが存在しないのか
Jun 10, 2025
大学の多様性と多様な教育の諸問題
Jun 10, 2025
授業ノート論
Jun 10, 2025
『シラバス論 — 大学の時代と時間、あるいは〈知識〉の死と再生について』序文について語る。
Jun 09, 2025
ヘーゲルとハイデガー :現前性とは何か
Jun 09, 2025
ハイデガーと世界性の問題 — 『存在と時間』入門
Jun 09, 2025
コピペ批判とは、何か。
Jun 09, 2025
「連絡」とは、何か
Jun 09, 2025
フッサール・ハイデガー・デリダと現象学の可能性(マリオン『還元と贈与』論)
Jun 09, 2025
テレ朝『あいつ今何してる?』『あざとくて何が悪いの?』、Amazon Prime『ゴールデンコンビ』『シークレットNGハウス』などの源流を語る
Jun 09, 2025
二十歳のサンタクロース計画
Jun 09, 2025
追悼・坂井泉水
Jun 09, 2025
「知的」であるとは、何か
Jun 09, 2025
社会人教育(生涯学習)と高等教育改革
Jun 09, 2025
〈学校教育〉とは何か。
Jun 09, 2025
吉本隆明:自己表出論、関係の絶対性、悲劇
Jun 09, 2025
70歳を超えて思うこと
Jun 09, 2025
「認知行動療法」の諸課題(『代替行動の臨床実践ガイド』を読む)
Jun 09, 2025
〈学び合い〉教育の諸課題 — 西川純(上越教育大)とのやりとりから
Jun 09, 2025
大学は〝自分探し〟の場処ではない
Jun 08, 2025
晶文社版吉本隆明全集月報執筆を依頼されたこと — 恩返しとは何か
Jun 08, 2025
夫婦げんかは犬も食わない
Jun 08, 2025
「少々お待ちください」とは何を意味するのか — 顧客と教育の時間性
Jun 08, 2025
蓼科避暑記 — 騒動・テロとの戦い
Jun 08, 2025
教え子からの10年ぶりのメール
Jun 08, 2025
「知的生産の技術」研究会・八木哲郎会長追悼
Jun 08, 2025
Twitter(現X)の時間性 — mixi、Facebookとの違い、あるいは、ソーシャルメディアとは何か
Jun 08, 2025
賢く捨てる家庭と人生(戸建てを捨てること)
Jun 08, 2025
iPhone発売当時(2007年〜 2008年)のマルチタッチ革命。
Jun 08, 2025
古典読解と大学の役割
Jun 08, 2025
人間環境大学・環境情報学科は、これまでの〈情報〉教育とどこが異なるのか。
Jun 08, 2025
ハイデガー『存在と時間』入門以前(東海大学・霞が関キャンパス講演)
Jun 08, 2025
ウィニコット論 (good enough mother論)— 大学院の講義から
Jun 08, 2025
機能主義、行動主義、サイバネティクス
Jun 07, 2025
Amazon prime「最強新コンビ決定戦 THEゴールデンコンビ」 — 息子・太郎のAmazon移籍後最初の作品
Jun 07, 2025
追悼・吉本隆明 —〈像 〉概念の影響について
Jun 07, 2025
情状性、死への存在 — 『存在と時間』入門以前
Jun 06, 2025
生成AIと大学教育の変奏
Jun 06, 2025
「君が代」と形式主義
Jun 06, 2025
「努力と階層 — 哲学と私」(『努力する人間になってはいけない』書評)
Jun 06, 2025
東大大学院の英語授業化について — 作品の国際性とは何か。
Jun 06, 2025
読書の無方法について — 難しい本を読む方法
Jun 06, 2025
〈聴覚〉と子供の〝発達〟
Jun 06, 2025
息子・太郎の就職活動総括
Jun 06, 2025
苅谷剛彦と日本の教育格差 — 『シラバス論』から
Jun 06, 2025
学歴主義か、最新学習歴主義か — 『シラバス論』芦田宏直・本間正人対談より
Jun 06, 2025
『シラバス論』におけるメタトークの意味について
Jun 06, 2025
「構成的な話体表出の方法 」(吉本隆明)— 『努力する人間になってはいけない』序文
Jun 06, 2025
『努力する人間になってはいけない』についての中西大輔教授(広島修道大学・心理学)の書評。
Jun 06, 2025
人工知能の諸問題
Jun 05, 2025
電子書籍論
Jun 05, 2025
ハイパーテキスト論(1995年)
Jun 05, 2025
機能主義から行動主義へ
Jun 05, 2025
〈表現〉の成立について — 〈表現〉と〈終わり〉
Jun 05, 2025
追悼・高橋允昭先生
Jun 05, 2025
追悼・山田田津子先生
Jun 05, 2025
デリダ京都滞在記。
Jun 05, 2025
追悼・川原栄峰先生、あるいは早稲田哲学の死について
Jun 05, 2025
「教育改革」は、なぜ成功しないのか(広島修道大学FD研修会)
Jun 05, 2025
多様性教育・個性教育は、単なるマーケティングに過ぎない。
Jun 05, 2025
「一流」とは何か。
Jun 05, 2025
「フレーム問題」と人工知能の限界について
Jun 05, 2025
中曽根臨教審以降の学校教育の変貌 — 多様性・個性教育の害悪
Jun 05, 2025
結婚式披露宴・親族代表、ご挨拶
Jun 05, 2025
卒業式式辞 : 努力する人間になってはいけない
Jun 05, 2025
卒業式式辞 : イノセントであってはならない — 〈生きる〉ことの受動性の話
Jun 05, 2025
フロイトの女性論について — 女性にとって男性とは何か
Jun 05, 2025
機械の故障と人間の病と
Jun 05, 2025
散髪屋にて
Jun 05, 2025
予備校営業が突然自宅にやってきた。
Jun 05, 2025
大学新入生講話 — 検索をしてはいけない
Jun 05, 2025
大学入試改革の時代錯誤
Jun 05, 2025
読書の作法
Jun 05, 2025
デザインの意味論 — 意味をデザインすること
Jun 05, 2025
宮本顕治氏の革命論について
Jun 05, 2025
素数と自己意識について — 『ブライム・ターゲット』(Apple TV+)を見て
Jun 05, 2025
小田急線の少年に出会う。
Jun 05, 2025
Twitter微分論
Jun 05, 2025
映画『バベル』(アレハンドロ・ゴンサレス・イニュリトゥ監督)について
Jun 05, 2025
死の存在論 — ハイデガー『存在と時間』に影響を受けながら
Jun 05, 2025
なぜ、人を殺してはいけないのか。
Jun 04, 2025
大学は、〝自分探し〟の場処ではない
Jun 04, 2025
死んだ人と、会わない人との違いはなんだろう。古い同級生などは消息不明だが、消息不明の人と死んだ人との違いはなんだろう。関心のない人と死んだ人との違いはなんだろう。アリストテレスには関心があっても、それでも会えなくても悲しくはないが、実はこんな問題を真面目に考え続けるのが哲学だ。
Jun 04, 2025
吉本隆明と〈転向〉
Jun 04, 2025